1/20から1/27まで1週間ほどインドへ行っていた。

よく言われているように街中の人込みや野良牛にも驚いたが、空港から一歩外に出た途端、辺り一面がスモッグで黄ばんで霞んでいる有り様に困惑した。空港からデリー市内までの車内からも視界不良で対向車や信号がよく見えない。インドがこれほどまでに空気が汚いとは知らなかったが、WHOによると世界で最も大気汚染が深刻な国は中国ではなくインドらしい。

timesofindia.indiatimes.com

空気だけでなく、足元も汚かった。未舗装の地面には投げ捨てられたゴミが幾重にも積み重なっており、風化して土と同化しつつある。また多くの糞があちこちに落ちており、踏まないように歩くのに神経を使った。

それらの糞の大半は辺りを徘徊している野良牛や野良犬のものだろうが、もしかしたら人間のものも混じっているのかもしれないと思った。

首都のデリーでもちょっと郊外に行くと道端で立小便をしている人間をちらほら見かけたが、ブルーシティーという愛称の地方都市のジョードプルではさらに多くの立小便をしている人間がいた。

列車に乗るため、中心地のホテルからジョードプル駅まで歩いていると、道すがら、大通りを一歩脇に入ったところに奇妙に地面がすべて真っ黒になっている通りがあることを見つけた。火事の跡かと思い、そこを通るリキシャ―がいないことを不思議に思いながらも歩みを進めると、2,3人の男たちがこの黒い通りにサッと入ってきては方々に向かって立ち小便を始め、終わると去っていった。

この通りは公衆便所のようなところで、地面が黒くなっているのは火事ではなく、排泄物によるものなのかと気づいた。

そういえば日本でも田舎では道端で立小便をしている男はしょっちゅう見かけたような気もするが、東京だからということもあるだろうが、最近は見た記憶がない。

 

宮本常一『忘れられた日本人』の「名倉談義」で老翁が以下のように語っていた。

さァ、三、四里はありましょう。タはんをすまして山坂こえて行きますのじゃ、ほんと
に御苦労なことで……。
 わしら若い時や恵那までかようた恵那の河原で夜があけた
という歌がありますが、ほんとであります。女の家へしのびこうで、まごまごしていると途中で夜があけたもんです。
すきな娘があったかって? そりゃすきな娘がなきゃァ通わないが、なァに近所の娘とあそぶだけではつまらんので……。無鉄砲なことがしてみたいので。
今の言葉でいうとスリルというものがないと、昔でもおもしろうなかった。はァ、女と仲よううなるのは何でもない事で、通りあわせて娘に声をかけて、冗談の二つ三つも言うて、相手がうけ答えをすれば気のある証拠で、夜になれば押かけていけばよい。こばむもんではありません。親のやかましい家ならこっそりはいればよい。親は大てい納戸へねています。
若い者は台所かデイへねている。仕事はしやすいわけであります。音のせんように戸をあけるにはしきいへ小便すればよい。そうすればきしむことはありません。それから角帯をまいて、はしをおさえてごろごろっところがすと、すーっと向うへころがってひろがります。その上をそうっと歩けば板の間もあんまり音をたてません。

 

最近見つけたSlackに関する記事。

courrier.jp

Slackではすべてのトイレでフランス語のラジオが流れているらしい。

たとえば、スラックの3つのオフィスでは、すべてのトイレでフランス語のラジオが流れている。誰も同僚の“使用中の音”を聞かされるべきではない、とバターフィールドが考えているためだ

「チームワークを活性化」するための、現代における最新のコミュニケーションツールであるSlackを開発している社内においては、排泄は極端に秘匿されるべきものとして捉えられていること。「名倉談義」の老翁においては、小便、排泄はタブーではなく、便利な性交、コミュニケーションのためのツールであるかのように使用されていること、その対比が面白いと思った。

未来において、排泄は無用のものとなり、もはや排泄もせず、物を食べることもなくなることがあるのだろうかと少し想像した。