帰郷の日

歌のある音楽を聴いているとどうしても歌詞が気になってしまう。

歌詞カードを見ながら音楽を聴いたり、歌詞を読んだりするのが好きなので、歌詞集のようなものをつくってライブのときに配ったらよいかなと思った。

それで元山ツトムさんにお声がけ頂き、2/16(土)HOPKENでアラヨッツとライブをやらせていただいた際、歌詞集を作って配布した。

裏が白紙なのも勿体ないので、下記の通り、裏面に帰郷の日という曲の曲解説(のようなもの)を書いた。

 

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あなたを忘れて こんにちは
私は帰る どうやって来たかな

花の匂いが 鮮やかな
また蘇る この身は
乾いたまま ひそやかなまま 帰ろう

 
あなたを忘れて こんにちは
あなたも変わる 今まで居たかな

花の匂いが 鮮やかだ
また蘇る この身は
移ろいだまま ひそやかなまま 帰ろう

 

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2016年2月、大学のころからやっていたバンドが終わった。(おいしいはなしという名前のバンドで大学に入った2008年の夏からやっていた。)だらだらと8年近くも続けていたが、学生から会社員になり、音楽サークルの同期もほとんど皆音楽はやめてしまっていた。いいバンドやいい音楽を作るひとは周りに多くいたから、せっかくいい音楽をやっていたのに勿体ないなあと思うが、働きながら音楽を続けることは難しいのだろう。
ずっとバンドがやりたくてしかたがなかった。コロコロコミックで連載していた『グランダー武蔵』の影響でバス釣りブームだった中学生のころ、購読していた『ロッド&リール』という釣り雑誌で、メロコアバンド「コークヘッド・ヒップスターズ」のボーカルKOMATSUが連載していた”ROCK DE FISH” という業界の音楽好きを訪ねるコーナーでロックと出会った。そのときのゲストは格闘家の桜井"マッハ"速人だった。ゲストは数枚お気に入りのアルバムを挙げるのだが、彼がフェイバリットとして挙げたうちの一つがハイロウズの”Relaxin' WITH THE HIGH-LOWS”というアルバムだった。何となく黄色いそのジャケットが印象に残っていたのだが、後日友人の家に遊びに行った帰りに寄ったゲオでその黄色いCDが面出しで置いてあった。当時はまだ聴いたこともないCDを買うことに抵抗があったが、値札シールを見たところ300円程度で中学生でも買えるほど安く、また毎月”ROCK DE FISH”を読むにつれ、おぼろげながら音楽への憧れが募っていたため、物は試しと思い買った。それから音楽に、殊にロックのそのサウンド、歌詞に興奮し熱中し、ハイロウズ「青春」という曲の「渡り廊下で先輩殴る 身に降る火の粉払っただけだ」という歌詞を真に受け痛い目にあうこともあったが、己のなかで次第に反骨・不服従の精神が醸造され、やがてバンドをやりたい、ロックをしたいという思いがにわかに高まり勃興していった。格闘技にはハマることはなかったが、中学以来の己の畢生のテーマソングは桜井"マッハ"速人の入場テーマ曲と同じハイロウズの「不死身のエレキマン」になった。
中上健次『十八歳・海へ』の「海へ」という小説では「僕」は最後に高まったパトスの表出として射精をするが、自身にとってのそれは音楽、バンドだった。しかし山と田に囲まれスタジオなど無い宮城の田舎では碌にバンドはできなかった。それゆえ東京の大学に進学し、音楽仲間とバンドができること、自身が作った音楽を一緒に演奏してくれるひとがいることは大変な喜びだった。自分にとっては長く渇望していたことであるため、音楽をやらないでいることを勿体ないと思うのだが、それも自分が田舎者だからだろう。一昨年、早稲田大学は入学者の多数を東京圏出身者が占めている状況を危惧し、地域性を重視し全ての都道府県からの受け入れを目標とした新思考入試(地域連携型)という新しい入試制度を設けたが、自分が在学していた際もほとんどが東京圏出身者だった。
バンドが終わった後、シンセを買ってSuicideのような音楽を試みたり、ひとりでできるためカメラを買い写真を始めてみたりしたが、全くうまく行かず、やはりバンドがしたいと思った。ありがたいことに一緒に演奏してくれるひとが見つかり、そうして最初に出来た曲が帰郷の日という曲だった。「あなたを忘れて こんにちは」というフレーズが何となく頭に浮かび、離れなかったため曲にした。「帰郷の日」という曲名も自然と思いついたものだったが、民族学者の赤坂憲雄『東北学/もうひとつの東北』を読んでいた際、次の文章に出逢った。「帰郷ということを、いつの頃からか考えるようになった。この時代にいったい帰郷とは何か。<中略> 近代という時間が、遅れたもの・非合理なもの・負性を帯びたものとして暴力的に切り捨ててきた、伝統的な知恵や技術や世界観のなかに、未来を照らしだす手掛かりが埋もれている可能性はないだろうか。それを掘り起こしつつ、故郷が向かうべき未来像へと架橋してゆくことはできないか。」
思いがけない出逢いを嬉しく思ったが、しかし偶然ではなく、いまの時代においてこそ改めて帰郷ということ、郷里を顧みるということが必要だと感じる。それは早稲田の入試制度の変革や、昨今のふるさと納税ブームにおいて端的に表れているように思うが、しかしそのような上面ではなく、内観として静かに顧みられるべきものだろう。自分にとっての故郷、心のふるさとのようなもの、それは何だろうか。
禅僧の南直哉は昨年出した『超越と実存―「無常」をめぐる仏教史―』という本のなかで、以下のように書いている。
「修行生活も七、八年を数えた五月のある朝、雨上がりの青葉が冴えていた道元禅師の廟所で、月例の法要があった。淡く透き通った光が差し込む堂内で、係の修行僧が鳴らす鐘に合せて礼拝をしようとしたそのとき、私の頭に全く突然にある思いが浮かんだ。「ああ、よかったな。本当によかった」何がよかったのか。釈尊道元禅師がかつてこの世にいて、言葉を遺したことである。私はその朝、初めて掛け値なしで仏祖の恩を感じ、まさに「頭が下がる」という文字通りの礼拝をした。私が考え続けられるのは、彼らの遺した言葉故である。その言葉に自分と同じ問題を発見したが故である。ならば、私にはもう、問題の解決は必要ではなかった。問題を共有する人間が、かつて確かに存庄していたということこそが、救いだったのだ。」
憚りながら、その気持ちはよく分かる。自分も同じように、音楽をやっている際や、ふとしたときに、音楽があってよかったな、と思う。音楽というものを誰かが生み出し、いまここに音楽があることをありがたく感じる。
普段の生活においては、過去や将来の不安や心配に囚われ生きざるを得ないが、音楽をやっているときには過去・未来はなく、その音が鳴っているいま現在だけがある。そうすると、自分にとっては、音楽によって、いまここに一回きりの生があることを実感できるのであり、そのことで今日まで生きることができた、というと大袈裟だろうか。いずれにせよ、音楽があって本当によかった、と思う。